賃金との相殺
従業員が会社の資金を着服したことが判明したため、その着服した金銭を給料から天引きして返済してもらう-「相殺」払い-という取り扱いをしている会社があります。
しかし、会社の従業員に対する賃金の支払いと、従業員から会社に対する賠償金の支払いとを相殺することは認められません。
労働基準法24条には、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」と定められており、給料との相殺は、この「全額払いの原則」に反するということになるからです。この労働基準法の規定の趣旨は、賃金が労働者の生活の基盤となるもっとも重要な権利であるため、これを保護してその支払いが確実になされることにあります。
そもそも「相殺」というのは、A社がB社に対して100万円を貸し付けているとき、他方で、B社からA社に対しては200万円分の売掛金債権がある場合、B社がその判断で、A社に対する返済に代えて、売掛金債権の対当額つまり100万円分を相殺して、両債権を100万円分消滅させるというものです。これにより、B社がA社に対して有していた貸金債務は消滅し、また、B社がA社に対して有する売掛金債権は残り100万円分となります。
この「相殺」のポイントは、一方的に、債権を消滅させるということにあります。つまり、A社が相殺に異議があり、売掛金を払うから、貸金は別途返して欲しいと考えたとしても、B社による相殺が法律上の要件を満たす限り、債権は消滅することになってしまうのです。
したがって、1にあげた事例のように従業員が会社に対して賠償金を支払う義務がある場合において、会社が賃金との相殺を行うということは、会社の判断で、賠償義務や賠償額が定められてしまい、不当に賃金が減額されると考えられます。
また、仮に賠償義務や賠償額が正しいものであったとしても、結果として、従業員の賃金は減額されてしまい、それが会社に損害を与えた従業員であっても、生活に直接影響を与えることになりかねません。
このような考え方にもとに、労働基準法は賃金に対する相殺を禁止しているのです。仮に、会社に損害を与えた従業員であっても、それについては懲戒処分を科すとか、あるいは、賃金の支払いをした上で賠償を求めれば、会社としての対応は十分であるということです。
ただ、従業員が自ら会社に対して分割払いの方法により賠償をしようとする場合、給料から天引きしてもらった方が手続が楽だと考える場合もあります。
そのような場合には、会社と従業員の間で相殺の合意をすることは許されていますので、合意の上で給料から一定額を天引きしていくという取り扱いは可能です。
ただ、裁判例において、会社と従業員の間で結ばれた任意の合意でも、それが特に労働者に不利益が及ぶような合意(賃金の減額や放棄など)である場合には、真に従業員が自由な意思で合意をしたか否かを慎重に判断されることになります。そして、会社が従業員という弱い立場を利用してなされた合意であると認められた場合には、その効力が否定されることになりますので、慎重な対応が必要となります。